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フォーリン

 止めようと持ち上げた腕をすり抜け、そこを逆手に取って抑え付けられる。手のひらから込められた力によって軋む手首に気を取られて、身体の防御が疎かになっていた。
 ボタンを一つ外すごとに、蛇足は様子を窺うように視線を上げて表情を窺う。
 自分は正しく拒んだ色を表すことが出来ていないのだろうか。
 そのことがclearには何より気がかりだった。
 けれども言葉でそれを伝えることが出来ない。伝えたとしたら、どうなるというのだろうか。
 纏わる全ての事物が傷付き、終わるだけだ。
 そんな生産的でないこと。しかしそれこそが正しく健全で、選ばれるべき道なのである。
 指先が滑り落ちる感覚を素肌に感じる。
 同時に口付け。
 散々clearの口内を荒らしたあとで舌先を見付け出され、そっと絡め合うような段階になって、蛇足の舌は戯れのように唾液の糸を残して去って行く。
 眉を歪めたclearを真っ直ぐに見ながら胸の筋肉に沿うように肌を滑り降りる舌先。
「…っ蛇足さん」
 取り返しが付かないようなことになる前に。今ならばまだ戻れるような気がしていた。
「何」
 しかしながらそんなものは幻想だったのだと、直後になって気が付く。
 捕らえるようなその目から、取り抑えられた手から生温い感触が這う皮膚から。彼が発する気持ちに絡め取られるようで。
「何…」
 何の気なさそうに蛇足がもう一度、繰り返した。clearに弁明の機会を与えるような口ぶりだ。
 口ぶりだけは気紛れに意見を取り入れてやらないでもないというそぶり。
 その表情は視界がぼやけて靄がかったようになったために、clearには分からなくなった。すかさず指先で拭われ、舌でその水分を舐め取られる。
 一瞬だけ捉え合った視線はあまりにも柔らかく、彼の気持ちの本質がそこにあるのではないかというふうに思われた。
「俺、は…」
「いいよ。喘ぎ声以外は」
 人間の本質など一箇所部分に固定出来るわけではないというのに。
 だからそんなものは、自分自身の願望なのであろうとclearは理解した。
 胸の先端は唾液で濡れ、もどかしげな快感をclearの身体に灯す。蛇足が伸ばす指先はそれこそがまるで野生の蛇であるかのように不規則な動きをして、今は下半身をさまよっていた。
 身体の中心、clear自身へとためらいもなく触れられて、思わず捕らえられていない方の手で口元を抑える。
 それでもジーンズの上からグリグリと立てられる爪の感触にあられもない声を零してしまいそうになる。唇を噛んで堪える端から、熱く湿った吐息だけが零れ出て行った。
「…そういう声は出していいけど」
 蛇足が興味深そうに顔を覗き込んで来る。与えられる快楽に流されることを恥じ入るように、clearは視線を逸らし、俯いた。
 その熱い吐息とともに、癖のある低い声が耳元で感じられた。
「出せよ。声」
「いや、出さないっすよ…」
 つまらなそうに「ちぇ」と呟いて蛇足は遠ざかって行った。
 戯れに弄ばれて大げさなほどに脈打つ鼓動が、全身を触れて回る彼に伝わらなければ良いがと、念じるようにして思う。
 温かな口の中に自身を含まれる。
 粘膜に包まれ、未知の生物のごとく好き勝手に動く舌先に、麻痺しはじめていたclearの感覚はただそこにある快感を追うのみである。
「っ、はあ、…ね、蛇足さ…」
「気持ち良い?」
 純粋に、自分が取った行為の成果を期待するような態度だ。上目遣いにclearの反応を窺う蛇足の表情は、ここに至るまでの強引さを全て忘れ去ったような、愛嬌のあるそれだった。
 あどけなささえ感じられるその口元には震えて立ち上がる自身があり、今もその指先が根元にかかっていてイニシアチブを握っている。
 あるいは倒錯的ともいえる光景を目前に、腕で、口ごと表情を隠しながらclearがくぐもった音声を発した。
「もう、わけ分かんない…!」
 満足気に頷いて蛇足がまたそれを口に含む。
 舌が吸い付いては離れ、口蓋と喉とでひどく締め付けられる。腿の内側を撫で擦る手の動きにすら翻弄された。
 そうされながらも視界の端に、それまではそのまま何処へ出てもおかしくない程度に着込んでいた蛇足の衣服が捲り上がり、自分自身で、熱を煽るように身体に触れて回っている様子が映る。
 clearの手がその肌に触れたとしたら。彼はどのような反応を返すのだろうか。
 考えて、喉が鳴った。そうした自分自身の考えが、身体の反応が呪わしかった。
 裏切りのように感じられていた。
 純粋に人を思うようなclearの心に対しても、こうしてclearと肌で触れ合うことを選んだような蛇足の心に対しても。
 健全ぶって、純情ぶりながらも、与えられる快感からは逃れられずにいる自分は何よりも罪深くはないだろうか。
「何」
 そんなふうな物思いを遮って蛇足がまた繰り返す。今度のそれは何処か刺々しく、clearの思考を現実へと引き戻した。
 不服そうにひそめられた眉が正直に彼の感情を伝えて来ていた。
「いや…ちょっと、考えてて、」
「わけ分かんないんじゃなかったの」
「違うんです。蛇足さん」
「いいから集中してろよ。ほら。もっと、見てて」
 clear自身の先端へと唇を落とすと、蛇足はclearの体液が絡んだ指で己自身を取り出し、口を引き結んだ。
 clearには声を上げろというわりに、自分ではそうするつもりがないようである。向けられる視線を感じているのかそうでないのか、瞼を落としてひたすらに良いところを辿るように指先が動く。
 時折荒くなる呼吸に耐えかねて口を開き、熱を感じさせる吐息を零す様が、clearの目に官能的に映った。
 既にはじめに捕らえられた腕は解放されていたが、今度は動きを封じるように腿の上に乗り上げて来た。clearにはもはや逃れる術もその意思も備わっていないというのに、入念なことである。
 用意していたらしいローションで指を濡らして、後孔を解きほぐそうという考えのようだ。
 clearには口を挟む隙さえ与えずに、そうした作業を淡々と続けて行く。
 その合間にこちらの動向を確認する様子で、時折窺って来る視線が高圧的な姿勢に相応しくなく、それでいてまた、clearを逃れられなくするようであった。
「っ、蛇足さん、これ…」
「…ん?」
「大丈夫なんですか」
 clear自身を全て飲み込んでしまってから、互いの呼吸が何とか揃いはじめた頃にそんな声をかける。蛇足は答えずに瞳を隠すようにして笑った。
 はぐらかされたようでclearは良い気がしないが、止めることも出来ずに、彼が動きはじめる。
 感じたことのない感覚は直ぐに快楽を知らせて来た。これまでになく素肌同士が触れ合い、熱を伝え合う。
 互いの体液によって擦れる度に妙な音が響いて、聴覚からその官能を刺激する。
 一際大きく響いた時に耐えきれず、思わず蛇足の肩を抑えて動かないで欲しいということを訴えると、彼は低い笑いを漏らしてclearの目元へと口付けて来た。clearは自分がまた涙を零しているのかと思い、驚いた。
 目の前で揺れる腰を見放すことが出来ず、支えてやらねばならないために確認する術がない。
 汗で視界が滲んでいることは確かだった。
「もう、イく。イきたい、」
「まだ…」
「そんな…っ」
「待っててよ、俺もイくから」
「だから、それは、むちゃですって!」
「何」
 頬に貼り付いていた髪が払われて、額と額が合わさる。間近にその存在を感じる。
 ごく近くに見える蛇足の両の目が揺れていた。
 それは絶え間なく彼が身を捩るせいでもある。引き絞られるような感覚にclearの目の端には涙が滲んだ。
「出来るだろ」
 蛇足の切迫が、いよいよもって伝わって来たような気がした。clearには受け入れる他に選び取るべき道がない。
「早く、イってくださ…」
「ヒトを遅漏みたいに言うなよ」
「俺を早漏みたいに言わないでくださいよ…」
「余裕あるね…」
「ぜんぜん、ないですって」
「じゃあ触って。俺もイかせて」
 重ねられた手に導かれ、蛇足の身体のあちこちに触れる。そうするとやはり目を閉じて快感を拾うような仕草は、まるでこんな時間がもう二度と来ないと信じ込んでいるようにも見受けられる。
 そんな彼の心を慰めてやらねばならないとclearは思った。
 その役目は自分自身にしか出来ないものなのだと、信じ込むことによって。変わらないだろうか。せめて彼が今感じる、刹那的なその思いだけであっても。clearの手で。
 顎の裏の辺りに口付けると、初めて蛇足が声を上げた。微かながらに震えを帯びたそれであった。
「ん、イく」
「ちろうー…」
「何て?」
「何でもないです…」
「イける?」
「あ、ああ、もう」
「そのままでいいから」
 達した瞬間に引き吊り、歪められたその表情を捉えていた。
 互いに声を殺し、身体中を駆け上る愉悦をやり過ごす。乱れた二つの呼気がその狭間で混ざり合った。
 身体を拭って間もなく、蛇足はマットレスに身を預けて目を閉じてしまった。眠っているのかどうかはclearの預かり知るところではない。会話をするという意思を見せる気がないようだ。
 情事の最中にも間近に眺めた、呼吸する口を鼻を、濡れた瞳を隠す瞼を前に、clearもその隣りで身体を横たえる。
 間もなく抱き込まれて、辺りは単調に上下する胸と腕に包まれた。
 求めた筈の体温だった。それ以上に、求められていた自覚があった。
 祈るように口付け、何もかもを捨てるように、それでいて受け入れるかのように、身体を重ねて来た彼を。その熱を。感触を。
 悲壮なほどにclearを思って微笑んだ、あの瞬間を。
 思い返すほどにclearはわけが分からなくなる。
 本当は分かってもいる。
 もはや逃れることなど出来ないということだけが、真実なのであろう。今やそのように思われていた。
 腕の中のclearを宝物のように抱えて、蛇足はその唇を歪めた。



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